鷺宮将棋サロン誕生秘話

曽根 維石

 

 鷺宮将棋サロンは平成22年2月26日に第1回例会を開催した。初回の参加者は6人だった。以来毎月1回欠かさず開催され、先日第101回例会を開いたところである。

 こう書くと、いかにも将棋に熱心な人たちが集まって切磋琢磨しているかのような印象を受けるかもしれないが、もとを正せば飲み屋の与太話がたまたま実現した会にすぎない。瓢箪から駒というやつである。

 当時、鷺宮のバー「ペルル」には名物バーテンダーのジイさんがいて、大人の会話を楽しむ常連客が集まっていた。「笑うせぇるすまん」に出て来るバー「魔の巣」のモデルと言えば、思い当たる人も多いであろう。私もそのジイさんの話が面白くて、平成21年の春頃からペルルに日参するようになった。

 まだ通い始めたばかりの頃、ジイさんから「将棋の好きな常連客がいる」と言って紹介されたのがTさんだった。一杯飲みながら往年の升田・大山の勝負や、もっと古い坂田三吉と関根金次郎の因縁話などをしていると、他の常連客も話に乗ってきて、結構盛り上がるようになった。

 そんなある日、飲んで話しているだけでは物足りなくなり、私はTさんを誘ってペルルを出ると、私の家で1局指すことになった。

 私は36歳のとき東京へ出て来たが、同じ職場に将棋の強い人がいて、新入職員歓迎会の夜に1局指して負かされたことがある。それをきっかけに故小野修一九段と武市三郎七段に将棋を習うようになり、職団戦でも腕を磨いた甲斐があって、アマチュア棋士には滅多に負けない自信があった。

 ところがTさんの古典的ひねり飛車を受け損なって、あっさりと負かされてしまった。私はそのとき相当酔っていたが、Tさんはもっと飲んでいたのである。

「これはいけない」と私は思った。全盛期は五段格で指していたのに、仕事にかまけて修業を怠っている間に腕がナマってしまったらしい。

 私はTさんと一緒に将棋の勉強会を立ち上げることにした。中野区民を5人集めると団体登録ができ、鷺宮区民活動センターの集会室を使えると聞いて、残り3人を無理やり仲間に引き込んだ。そのうちの1人であるFさんは、あろうことか将棋が指せない。そこを拝み倒して事務局長になってもらった。

 鷺宮将棋サロンはこうして誕生した。

そんな、飲み屋の延長みたいな集まりがいつのまにか地域に根づいて、そのうち田丸昇九段の知遇を得、本田小百合女流三段が指導に来て下さるようになり、果ては女流棋士会とイベントを開催するまでに成長した経緯については、またの機会に。